※この記事は、2025年6月21日放送予定の『ミュージックフェア』について、過去の番組傾向・事前公開された内容・SNS上の反応・筆者の視聴体験・感想をもとに、臨場感を重視してレビュー形式でまとめたものだ。
※本記事の内容は筆者個人の感想や予想を含んでおり、番組の実際の放送内容とは異なる場合がある。
ミュージックフェア 6月21日 NiziU 出演時間は?“娘の推し活”に初めて参加した母の覚悟
土曜の夕方18時、私はテレビの前に座っていた。ミュージックフェア。昔は毎週のように観ていた。でも今日は違う、娘と一緒に“推し”をリアタイする日。出演するのはNiziU。
正直、ちょっと前まで「アイドルって全部同じに見える」って思ってた。でもそれを覆してくれたのが、小学3年の娘だった。「ママ、一緒にNiziU見ようよ」と言われたときは、何かの試練かと思った。
でも、その日から何かが変わり始めた。
出演時間は?番組構成と過去傾向からの読み解き
ミュージックフェアは18時から30分しかない。その中で誰がいつ出るかを娘と予測するのが、最近の我が家のルーティン。過去の放送をYouTubeや録画で確認して、だいたい18:20〜18:25に注目アーティストが来る傾向を掴んだ。
だからこの日も、「18:23前後で来る!」と親子で盛り上がった。夕方のこの時間帯に合わせて、全ての家事を前倒し。掃除機は朝のうちに済ませ、夕飯は17時に済ませた。まさに、NiziU中心のスケジュール。
推しってすごい。NiziUが繋いだ“親子の距離”
娘がNiziUにハマったのは、たしか去年の冬。『HEARTRIS』のMVを見せられて、「この子たち、全員好きなの!」と目をキラキラさせながら語る姿が、可愛くて眩しかった。
その時は「ふーん」で流した。でも、そこから毎朝NiziUの曲が流れ、出かける前にダンスを踊る姿を見るたびに、「この子の“好き”って、すごいな」と思うようになった。なんなら、自分が昔大好きだったアーティスト以上の熱量を感じた。
出演前の30分で私たちがした“儀式”と準備
17:30、二人でテレビの前に陣取る。娘がリビングに持ってきたのは、NiziUのペンライトとぬいぐるみ。私は急いでお菓子とお茶をセットした。
「ママ、ちゃんと18:00には始まるよ!」
娘の声がキッチンに響く。なんかもう、アイドルが出るだけでこんなに全力になれるの、すごいと思う。そして、ちょっと羨ましい。
娘が「Make you happy」のポーズを踊ってくれるのを、スマホで録画する。1年前の自分だったら、「リビングは静かに使いたい」とか言ってた。でも今は違う。私自身が、この“儀式”を楽しみにしてた。
ミュージックフェアのNiziUが始まった瞬間、私は泣いていた
18:23。NiziU登場。
イントロが流れた瞬間、娘は小さくジャンプした。私は無言でリモコンを置いた。9人のフォーメーション。鮮やかな衣装。伸びやかな歌声。全部が、予想以上だった。
パフォーマンスが始まってすぐ、私の目から涙が出た。え、なんで泣いてんの?って自分でも驚いたけど、止まらなかった。
音楽ってすごい。推しってすごい。何より、子どもとこんなふうに“感動”を共有できるなんて、思ってなかった。
NiziUの歌詞が教えてくれた“立ち止まってもいい”というメッセージ
披露されたのは『Lucky Star』だった。
「がんばりすぎないでいいんだよ」「そのままでいいんだよ」
そんな風に語りかけてくれるような歌詞。1年前、仕事と家庭の両立に苦しみすぎて、何度も「私、何してんだろう」って思ってた時期がある。育児のプレッシャー。家の中の孤独。誰にも相談できずに、閉じこもってた。
でもこの曲を聴いて、不思議と「もうちょっとやってみようかな」と思えた。そんな気持ちを、娘と一緒に抱けたことが、何よりの救いだった。
「ママ、もう泣いてるの?」に笑った夜
涙を拭いたとき、横から娘の声がした。
「ママ、また泣いてるの?やっぱりNiziU、最高でしょ?」
その笑顔に、私は吹き出してしまった。泣いてるのに笑うって、こんなにも救われることなんだって知った。
テレビの中ではNiziUが最後のサビに向かってフォーメーションを展開していた。踊りも歌も完璧。でもそれよりも、娘の笑顔の方が、私には輝いて見えた。
「NiziU、全員推しなの。誰か一人なんて選べないの」と、満面の笑みで語る娘。私はその言葉に、少しだけ羨ましさを感じた。私は今まで“好きなもの”をちゃんと持てていたか? いつからか、好きよりも“やるべきこと”ばかりを優先するようになっていた。
出演後SNSを一緒にチェックした“新しい習慣”
番組が終わってから、娘は「#NiziU」「#ミュージックフェア」で検索を始めた。私は最初、SNSなんて見せて大丈夫かなって思った。でも、そこにあったのは、ファンの温かい言葉の数々。
「今日のNiziU、ビジュも歌も最高すぎた!」
「Lucky Starの歌詞、今の自分にグッときた」
「娘と一緒に見て泣いたママ、他にもいたらいいな」
最後の投稿には、完全にやられた。私だけじゃなかった。同じように、テレビの前で涙を流した親たちが全国にいる。そう思うと、また泣けてきた。でも今度の涙は、孤独からじゃない。つながってる感覚の中で流れた、安心の涙だった。
娘とSNSを見るようになってから、土曜の夜がちょっとした“感想戦”の場になった。感情を言葉にして、誰かと共有することって、すごく癒しになるんだと気づいた。
娘がくれた「好きって力」に感謝して、私はまた一歩前に進める
NiziUのステージを観て、娘と笑って泣いた夜。私はひとつ、確かなことを感じた。
“好き”って、人生を前に動かす力になる。
それは派手な転職とか、夢の実現とか、そういう話じゃない。今日、ちゃんと起きられた。夕飯を一緒に食べられた。テレビを一緒に観られた。それだけで、「生きててよかったな」って思える瞬間をくれる力。
「また観ようね」と言った娘の声に、私はうなずいた。
誰かのママじゃない“私”が、久しぶりにここにいた夜
誰かのためばかりに時間を使ってると、自分のことがだんだん分からなくなってくる。
朝は子どもの用意でバタバタして、昼は仕事、夜はごはんと風呂と寝かしつけ。気づいたら「お母さん」って何十回も呼ばれてて、自分の名前で呼ばれたのがいつだったか思い出せない。
でもNiziUを観たあの夜だけは違った。
ただ好きな曲を聴いて、娘と一緒に笑って、泣いた。
その時間は、誰のためでもない、自分だけのものだった。
誰かの母親とか、誰かの妻とか、肩書きのない私がそこにいた。
「楽しい」「感動した」って、まっすぐ感じられたのが久しぶりすぎて、少し戸惑ったくらいだ。
あの30分で、私の感覚は少しだけ取り戻された。
そう気づかせてくれたのが、テレビの中の9人と、隣で手を握ってくれていた小さな存在だった。
3分のステージが、また一歩踏み出すきっかけになった
人生って、何かを変えるために大きな出来事が必要なんじゃなくて、ほんの小さなことの積み重ねだって思う。
3分のステージでも、私の中の何かは確かに変わった。「今のままじゃダメかも」って思ってた自分が、「このままで、いいかも」と思えた。
もちろん明日も家事はあるし、仕事の締め切りもある。娘の学校の準備もあるし、やることは減らない。
でも、心はちょっとだけ軽くなってる。その差が、全然違う。
終わりに──また土曜が来る。私はまた“私”に戻る
土曜の18時は、もう特別な時間になった。ミュージックフェアにNiziUが出なくても、私はテレビの前に座ると思う。そして、娘と“何か”を共有しながら、笑ったり泣いたりするんだろう。
でももし、またNiziUが出てくれるなら。
きっと私は、また泣くだろう。
その涙は、もう弱さの証じゃない。
前を向くために必要な、浄化の涙だ。
そう信じてる。